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2013年5月 7日 (火)

ニャーは頑張るもんパート70

ニャーは浄土真宗の信仰に対して批判的な書き込みをしていましたが、実を言うとニャーの思考が、浄土真宗の信仰に近い事に最近、気づきました。ニャーは自助努力こそ仏教の中心であるから、阿弥陀仏に救いを求めるのは少し違うのではないかと思って書き込みしてましたが、ニャーの信仰は変な言い方ですが南無エル・カンターレです。経典の中で、主への祈り、守護・指導霊への祈りと言うのがあるのですが、きわめて南無阿弥陀仏に近いのではないかと思われるのです。たくさん本を読んでいるので違っているように思っていただけで本質は変わらないのではないかと思えてきて愕然としました。あえて違いがあるとすれば、幸福の科学では愛・知・反省・発展という現代の四正道を説いており、その内の反省に当たる部分で悟りとして八正道が説かれており、精神統一をして自分の内面を見つめると言う作業が入る程度でほとんど変わらないと感じるのです。ただ、幸福の科学では、本尊としては霊界にある、9次元世界の霊存在である主エル・カンターレと地上に肉体を持たれている大川隆法総裁先生という応身が本尊であります。それから、根本経典としての「仏説・正心法語」が仏弟子が漢文で書いた物であるのではなく、9次元世界におられる、ゴーダマ・シッダールタ、お釈迦様の意識体から直接、霊示された経典であるのでこれ以上の経典はこの地上には無いと言う点です。浄土三部経がどのような経緯で成立したかニャーはよく理解していないのですが、ある解説によると中国で成立したと言う事なので大乗仏教の流れの中で成立したと言う事ですので、仏陀の弟子筋が書いたものでインドのお釈迦様の直説金口ではない可能性が高いとの事であります。ただ、ニャーは悪癖である喫煙をやめられないし、結婚もしていないし、肉食もしていますし、戒律や道徳に反する生活をしているので自分は悪人ではないかと思います。厳しい修行の果てに悟れないと悟って念仏に回心した親鸞聖人とニャーを同列に論じる自体が、親鸞聖人様に対して失礼であるのは当然なのですが、ニャーは幸福の科学の信者だからと言う思い上がりで親鸞聖人様の教えをいかがなものかと批判していただけなのです。とてもいけない間違いを犯していたのです。先生が本の中で、普通の人間でも新聞報道の記事で知った内容で総理大臣の判断を批判出来ると指摘されていますが、ニャーも同じ間違いを犯してしまったのです。批判は簡単に出来ますし甘えもあります。ニャーは自分を厳しく律しなければならないと思います。また、お墓の伝統文化や霊園の伝統文化に対しても安易に批判していましたが、お墓や霊園が尊いとされるにはそれなりの理由があるので、一概に批判してはいけないものだと思います。ただ、ニャーはニャーなりに勉強してわかってきた部分に関しては自信を持って意見を述べていかなければならないと思いますし、宗教という枠を幸福の科学は越えているので戦略論や戦術論や現代的成功理論や語学に関する認識等に関しては多いに学び実践しなくてはならないと感じるのです。ご理解下さい。

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