« ニャーは頑張るもんパート14 | メイン | ニャーは頑張るもんパート16 »

2013年3月25日 (月)

ニャーは頑張るもんパート15

ニャーは親鸞聖人の説かれた阿弥陀信仰に異論を述べる者であります。親鸞聖人の弟子である唯円聖人に書いた「歎異抄」の「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人おや」は大きな間違いではないかと思うのです。オウム教の麻原やイスラム教原理主義者のテロリストが「南無阿弥陀仏」のお題目を唱えたら救われるか?と考えればわかるはずです。現代の日本で、勢力を拡張している幸福の科学の説く現代的成功理論と最先端の仏教理論から言っても、浄土真宗の「南無阿弥陀仏」を唱えれば救われるはインド時代のお釈迦様説かれた、三宝印「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」から見て、異端であるとニャーには思えるのです。確かに、戦乱の世の中、飢饉の世の中の鎌倉時代においては「南無阿弥陀仏」のお題目を唱えれば救われるは便利な教えであったと思いますが現代には通用しない教えだと思います。現代で言えば幸福の科学の説く、正しい心の探求と愛・知・反省・発展の教え、現代的成功理論と最先端の仏教理論こそが衆生を救う教えであることがわかるでしょう。信仰を各人が持つ事をニャーはお勧めしますが、やはり、空や無我といった悟りの言葉で仏教の説く四苦(生・老・病・死)を喝破して、肉体生命の迷いを解くのが現代に生きる人間の修行であると考えていただきたいのです。

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=hiromu1111-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4863952627&ref=qf_sp_asin_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

コメント

コメントを投稿